■神藏寺の歴史
- 延暦元年(782)
交通の要衝の地であった亀岡盆地、その西部朝日山の東向山麓に最澄が開基道場を開いたことに始まるとされています。
- 正暦年間(990〜994)
仏堂伽藍塔頭が26院もあった大寺で源氏一門の崇拝が篤く隆盛を極めました。源 頼光(鬼退治で有名)帰依の寺と云われ、頼政も帰依の寺であった。
- 治承4年(1180)
源頼政の挙兵のさい、三井寺(園城寺)の挙兵に参加、敗戦により、平氏により所領没収されて堂宇は荒廃しました。
- 嘉禎元年(1235)
天台宗達玄僧都により僧舎を再建。女人禁制を解き、再び丹波随一の名刹に復元。応永年間(1390〜1420)には室町幕府の管領、細川頼元の補修を受けてより隆盛をほこりました。
- 天正3年(1575)
明智光秀の丹波平定ために兵焚に罹り一宇を残さず焼亡。ご本尊は信者達によって山中に隠され難を逃れました。
- 承応2年(1653)
浄土宗光明寺派の願西法師が本堂及び阿弥陀堂、鐘楼を再建。現在の本堂はその当時のものといわれます。
- 延宝7年(1679)
亀山城主松平伊賀守忠昭が臨済宗妙心寺派の高僧高隠玄厚を請じて中興、依頼継承されて今日に至っています。
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(山門前の説明板) |
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